書いても書かなくてもいい、とにかく続くことが目標の日記

 

文章を書くのは楽しいよなと昔思っていた。いま全くその機会を持たないことに違和感を感じてこの日記を書くのである。

 

昔とは小学生くらいのこと。モノ心ついたときから本というものに興味があり、学校の図書室へ導かれるように足を運んでいた。いやゲームのほうが好きだった。運動も、遊びも。これらがもし無かったら、迷わず本の虫になっていたのかもしれない。

 

将来はモノ書きになりたいと、友人のバンドマンと語らった。彼はいまドイツ辺りでなにやら創作しているらしい。こちらはしがないプログラマーもどきである。この差はなにか?どこで間違ったのか?

 

色々なことに興味があって、それなりにこなせて、的が絞れていなかったのだろう。テニスをやり、バンドをやり、、、、でもそんなものか。この2つに気をとられていたのか?

 

大学は美学という学問にあこがれて入学した。講義を受けてみたらどうもイメージと違い、美しいものはでてこない。美とは何か?というものであり、どのように表現されるかは語られないのだった。講師は白ヒゲのナイスミドル。

代わりに本が好きだったことを思い出し、文学っぽいところへ進む。ここでつまらない古い本を読んで理解したような錯覚を持つことに没頭し、たまには収穫のある読書もあったかと思う。ほとんどは、よくわからない空想上の代物というような感覚で読んでいた。

 

小説を書きたいと思ったことがあった。が、自分には語るべきものが何もない、と気づいた。さらっと言ったがここに至るまでに数年かけた気がする。馬鹿で空虚な感じのする少年は、大人になって経験を積んでからにしよう、という結論に至り、ここから乱読が始まる。

 

乱読とは頭を使っているようで使っていない、非常に楽しいながら非生産的なものである。無知な少年が世の中を知ることの役には少しも立たなかった。とはいうが、ここで読んだものはどうも根付いたらしく、基礎的な教養の一部になっている感覚はある。大人になって哲学なんて踏み入ったら結構詰んでいる。これはこれでよかったのだ。

 

就職するときに自己分析みたいなことをする。自分は何がやりたいのか?みたいなことを考えるところで、就活に出遅れて出版社に応募すらできなかった少年は、表現という意味で近い広告に目を向けた。ここで間違ったのである。

そもそも出版すら興味が無かったはずだ。本当は、モノ書きとして花々とデビューしたかったのである。これは妄想だ。この時点で本好きを自覚してはいないが、本は好きだった。

広告業界に足を踏み入れ、火傷して退散し、いま余力でプログラマーをやっている。金さえあれば自由だと思って競馬なんかもやっている。物書きはどこにいったのか。

 

でも、子どものころに夢見たものに必ずしもなれたら最高というものでもない。純粋な気持ちという点で、物書きにはあこがれていた。いまなりたいものがあるなら、それをすればよいが、どうもそれというのは目的というよりも手段的なものである。仕事でプログラミングをしているのは生活のためだし、趣味で競馬をやっているのもそうだ。

やはり本当に目的それ自体のところのものは、モノ書きなのである。

 

いや、これは虚栄心なのかもしれない。とにかく知性で他者を圧倒したいという闘争心、ただそれだけなのかもしれない。戦うこと≒生きのびることと考えると、生物としては筋が通っている。作家の誰にあこがれているというわけでもない。

 

それならプログラマーや競馬と同じく、モノ書きも手段的なものか。考えてみればおそらくそうだ。単に得意だから好きだしちょうどよいと思ってモノ書きを想像したに過ぎない。目的としての職業なんてものは存在しないのである。

 

とりあえず生まれたけど、何がしたいのか。ただ生きるだけである。

その過程で、大いなる目的が生じたら、それが夢である。目的はかなえたいものである。

 

私の目的とは?

子どものころ思っていたのは、

①暖かい家庭を築く。

②弱いものいじめをなくす。そのための力を持つ。

 

この2つだけだ。どちらも、今も私の中でまだ生きている。

 

①を得るためには、たぶん金はつきものだ。子どものころは金が無いことを恨んだものだ。

②は力を前提としている。やはり金だ。法律力や身体能力もたぶんそのうちだ。

 

こう考えると、①②は何かの理想を描いたものである、現実がそうでないから、こう思うのである。人間の原動力は、こういった宿命的なものだけにあるのかもしれない。

 

②は歴史的に見ても難しいが、①はこれから十分達成可能である。①に注力すべきだ。

そのためには?

・「暖かい家庭」というものがなんなのか、具体的にイメージすること。

これしかない。例があればよいのだが。無ければ独善である。

家族の例を沢山知る必要がある。ホームビデオ?通俗的な小説やアニメ?ドラマ?映画?たぶんこのあたりだろう。

ヒューマン系の作品に触れるのが一番よさそうだ。そこで気づいた父親の役割を、体現することだ。

 

休みがあり、金もあり、やさしさもある。これは、力によりもたらされる。このための力である。それはいいが、具体的に何をするかをもっと学ばなければいけない。やはり海外のヒューマン系映画がよさそうだ。これを学ぶべし。私の宿命・人生の実現可能な唯一の目標である。